トップ >須磨海苔について>

須磨海苔について

日本人と海苔

日本人が、縄文時代から「貝とともに食していたのではないか」と考えられている海苔。
文献に登場したのは、日本で初めての法律書といわれる「大宝律令」(701年制定)が最古で、税として納められていました。当時の海苔は天然の生海苔だったこともあり、庶民には手の届かない高級品。
今のような板海苔が作られるようになったのは、養殖技術が確立された江戸時代以降です。

兵庫県の海苔生産量は全国屈指!

現在では、日本全国で年間60~70億枚の海苔が生産されていて、佐賀県・福岡県・熊本県などをあわせた有明海産の海苔だけで、日本全体の生産量のほぼ半数をしめています。
しかし、県別の生産量を見ると、1位は不動の佐賀県ですが、兵庫県は福岡県と全国2位の座を争っています。
瀬戸内海の潮流に揉まれた兵庫県産の海苔は、色つやがよくしっかりしていて、巻き寿司との相性がよいことで知られています。

恵方巻にかぶりつく女の子
おにぎりと海苔巻きのイラスト

色や香りが長持ちするので、
巻き寿司以外にも
ラーメンのトッピングや
直巻きのおにぎり用などに人気

須磨海苔とは

神戸市内で採れた新芽で作られた海苔の中で、ある一定以上の品質のものが「須磨海苔」です。2007年に神戸市漁業協同組合が地域ブランドとして商標登録しました。
海の野菜とも呼ばれる海苔ですが、「須磨海苔」は大阪湾の豊富な栄養と明石海峡の潮の流れのおかげで、他の海苔と比べてもタンパク質・アミノ酸・カルシウム・ビタミンなどの栄養がさらに豊富です。また、色が濃い上に香りがよく、しっかりと肉厚なのに口に入れるととろけるような味わいです。
「一番摘み」「初摘み」「新芽」
とパッケージに書かれているものは、1回目に摘み採られた海苔なので、柔らかく、最高級の品質です。

須磨海苔

須磨海苔の歴史

昭和30年代の漁師たちは、魚が獲れない冬場に漁業以外の仕事に出稼ぎに行っていました。
「魚が獲れへん冬場になんかできることあらへんか?」
須磨海苔の歴史は若手漁師のその言葉から始まりました。
海苔の養殖は江戸時代の東京湾が発祥なので、兵庫県は全国的に見ると歴史が浅い方です。
最初はなかなかうまく行きませんでしたが、水深が深くても海苔を育てられる「浮き流し方式」を開発し、急速に生産量を上げて行きました。
須磨浦地区では、最盛期の1975年(昭和50年)頃は約18の海苔工場があり、約200名の海苔生産者がいましたが、2008年(平成20年)には4工場、約40名の生産者にまで減少してしまいました。
そこで2014年(平成26年)に、須磨海苔存続のために漁師たちが集まって新しい組織を作り、今では地域全体で最盛期と同量の海苔を生産できるようになりました。

海苔の摘み採り
摘み採り 昭和30年代後半
生海苔の洗浄
生海苔洗浄 昭和30年代後半
のりすき
のりすき 昭和45年頃
すまうら水産のり工場
2014年に完成したすまうら水産のり工場

お品がき

地図から探す

ランチ&夜の限定メニュー

店長イチオシメニュー

兵庫県すし組合のポスターはこちら

すし同業者の皆さまへ すし組合に入りませんか

▲PAGE TOP